ジャニーズ性加害

ジャニーズ志賀泰伸性加害告白は売名行為「芸能界へ返り咲きたい」

ジャニーズ性加害

ジャニー多喜川氏の性加害の被害を受けたと告白する人がまた現れました。

元忍者の志賀泰伸さんです。志賀泰伸さんは、15歳でジャニーズ事務所に入所し、約10年後の1995年に退所しています。

志賀さんは、ジャニー氏の性加害に今でも苦しんでおりフラッシュバックで病院に通うこともあるとのことです。

今回、告白してくれた勇気に多くのジャニーズファンは拍手をおくりました。性加害の内容は非情なものですが、それを乗り越え志賀さんには別の思惑があるようです。詳しく調べてみました。

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ジャニーズ志賀泰伸性加害告白は売名行為「芸能界に未練がある」

志賀さんが今回、週刊文春にて語った性加害は以下の通りです。

「ユー、ちょっと合宿所に来ない?」と2回目くらいのレッスン時にジャニー氏に声を掛けられる
当時、原宿にあった合宿所にジャニー氏が運転するベンツで連れて行かれた
夜寝ていると、ジャニー氏が横に来た
マッサージのように触り始めて、パンツに手が行って降ろされた
布団をかぶっていたのでジャニー氏の顔は見れない
寝たふりを続けるとジャニー氏は部屋を出て行った

バスルームで立ったまま、1時間以上好きなように身体を触られた
性交を強要しようと肛門にローションを1時間くらい塗られた
(お尻に力を入れたため、性交はされなかった)
射精すると温かいおしぼりで性器を拭かれる
ハワイのハレクラニホテルの最上階の部屋(通称ジャニー部屋)に連れ込まれ行為を強要された

性加害は30~40回。18歳頃まで続いた
1990年のデビュー時は摂食障害で食事が出来ず42キロまで落ちた
ジャニーさんの性癖に巻き込まれてると思い、会うのも嫌だし、話すのも嫌になって、合宿所から足が遠く
誰にも話せなくなく、性格が暗く変わってしまった
両親には亡くなるまで被害を打ち明けられなかった

志賀さんの悲痛な叫びともとれる今回の告白は、54歳になった今でも時々思い出してしまい病院に通っているとのこと。トラウマは強烈であり、ジャニー氏の行った行為は許されるものではありません。

しかしながら、志賀さんのこの告白は別の意味を持っているのではないか、という意見がありました。

元ディレクターである下矢さんのツイートです。

下矢さんは、もしジャニーズを責める立場であったらどのような記事を書くか、ということを一般論として説明しています。

以下は、そのツイートの一部です。このジャニーズ性加害のネタが終わらないようにするためにどうするか、という下矢さんの見解になります。

同時に、このネタが終わらないようにしないといけない。そのためには新たな告発者の掘り起こしも必要。同じネタだと飽きられてしまうのだ。

とはいえ、文春が長年総力上げて、今の面々しか実名証言にこぎつけられていないのだから、相当に難しいのだろう。

ただ局面がかなり進んでいるので「今、証言したら、もう一度スポットライト浴びれるかも」という邪な思惑で心変わりする元ジャニーズ事務所のタレントがいても不思議ではない。

できれば一部のファンしか知らないジュニアではなく、「紅白にも出場経験がある、昔懐かしい、あの人」みたいなのが理想。なので、一応「昔は有名だったけど、今パッとしてない人」を片っ端から当たってみる。

新たな証言者の発掘ができれば、再び外国特派員協会で会見してもらう。

昔有名で、紅白などに出場したが今はあまり芸能界で活動していない人が、もう一度スポットライトを浴びるために、性加害を告白するために現れるのではないか、という予想です。

こちらのツイートは5月17日。今回、志賀さんの告発記事公開が5月24日ということで、日にちから見ても後出しではなく、予想がドンピシャで当たったことがわかります。

そして、志賀さんが芸能界への未練を思わせる理由として挙げられるのが2点あります。

忍者解散理由「活動時期が悪かった」

『忍者』は不遇のグループであると言われています。以下は、当時のジャニーズのデビュー年の抜粋です。

1985年 少年隊
1987年 光GENJI
1988年 男闘呼組
1990年 忍者
1991年 SMAP

光GENJIとSMAPに挟まれています。忍者は決して人気が無かったグループではありません。しかしながら、異常な人気を博した光GENJIとSMAPに挟まれてはその魅力が陰ってしまったのも事実です。

そして、最も不運であると言われている理由は、デビュー曲とでデビューした1990年という年です。

デビュー曲は「お祭りマンボ」あの美空ひばりさんの名曲です。そして、1990年はその美空ひばりさんが亡くなって1年が経ったころ。不謹慎なのでは?と当時相当叩かれていました。

このような経緯から、もっと売れるはずだった、もっと輝けたと思っていても不思議ではありません。

志賀泰伸退所理由「子持ち既婚がバレた」

更に志賀さん自身は『忍者』としてCDデビューする以前から、事務所、メンバー、ファンなど全てに内緒で、9歳年上の女性・Sと既に入籍し、男児までもうけていたことが1994年に発覚しました。そして、志賀さんはその後ジャニーズ事務所を解雇されています。

精神的に追い詰められていたとはいえ、これだけの屈辱に耐えてきました。志賀さんは、もっと脚光を浴びたかったと思ったはずです。

その証拠に2005年5月に会費1万円のファンイベントを開催しました。ファンを相手にバーベキュー大会を開催したのです。

その後、ファンクラブ設立を名目にファンの女性数十名に電話をかけ、一人あたり平均3万円以上の金額を借り集めたのですが、ファンクラブの設立も返金もしないまま、公式サイトを閉鎖して消息不明となる事件が起きました。

このように志賀さんはジャニーズ事務所を解雇されたあとも、ファンにちやほやされたい、脚光を浴びたいと常に思っていたことが伺えます。

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志賀泰伸現在「フラッシュバックでずっとうつ状態」

志賀さんは現在、太田病院の院長の娘さんと再婚し、同病院の事務長として勤務しています。一般の会社員、さらに地元では有名な病院の院長の娘を奥様に持つ志賀さんの立場から、今回のインタビューは非常に勇気ある行動であると思います。

志賀さんは現在でも、性加害のトラウマにより体調を崩すこともあるとのこと。

「突然調子が悪くなって、心療内科に行くこともあります。『ジャニーさんにされて』という話をしたこともあります。地元の病院は結構すぐ噂が広がっちゃうので、わざわざ遠くの病院に行ったりして。カウンセリング受けて薬を飲んで軽快しても、また何かをきっかけにあのことが蘇ってきて、またカウンセリングに行って。その繰り返しです」

非常に苦しい人生を送ってきたことが明確です。志賀さんのインタビューを見ていると、他のジャニーズの人たちが体調を崩していったのは『性加害』が理由であるのではないか、と勘繰ってしまいます。

人生ほとんど悩んでいたんですね。誰にも相談できずに我慢して当たり前って異常な状態におかれていたなんて病気にもなります。TOKIOの山口くんだってストレス解消でお酒に逃げていたなら同情できます。最後までそれを言わなかったのもすごい。何人かこのタイミングで心を壊して休むの変だなって思っていてなんかストンと落ちました。

想像で話したらダメなのはわかるけどさ、ジャニーズやめて、酒とかドラッグとかに手を出す原因の一つに性的なトラウマがある人もいるんじゃないかと思う。今までドラッグなんてなんで?って思ってたけど辛かったのかも。。

元TOKIOの山口達也さんは、アルコール依存症と不祥事によって芸能界を事実上引退に追い込まれました。

元KAT-TUNの田中聖さんは、大麻取締法違反で逮捕され、事務所を解雇されています。

まだまだ多くのジャニーズたちの不祥事はあります。その原因のひとつに、ジャニー多喜川氏の性加害があるとしたら、華やかな芸能界でこんなに悲しいことはありません。

志賀泰伸太田病院「事務長として人事に携わる」

志賀泰伸さんは、香川県にある太田病院で現在事務所として人事採用に関わっています。

忍者時代に極秘結婚したいた女性・Sとは離婚し、別の女性と再婚。この別の女性というのが太田病院院長の娘さんなのです。一般人の為、顔や子供の有無は不明です。

病院たけでなく老人ホームなども経営しており、かなり大きな医療法人です。

これだけの組織をまとめる事務、人事を志賀さんは努めています。

このように大きな病院を仕切る事務長です。仕事にやりがいは持っていることでしょう。しかしながら、人生の折り返し地点に立ちもう一度あの世界で輝きたいと思っても不思議ではありません。

売名であれ何であれ、ジャニー氏の性加害を告発するのは非常に勇気が言ったことです。この勇気が、ジャニーズ事務所を暴くきっかけとなることを強く望みます。

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